2月10日の週、アメリカのRAWA支援者はRAWA代表ゾヤを戦勝記念日のニューヨークとワシントンDCに迎えるというチャンスに恵まれた。ゾヤを招待したのは、「ワギナ・モノローグ」という劇の受賞作家で、V-Dayと、その世界的な毎年の運動を1997年に創始したイブ・エンスラーである。エンスラーは、アメリカ中で彼女の劇を演じている間に多くの女性が暴力の犠牲になっていることを知ったことをきっかけに、世界中で女性に対する暴力に対して戦うための基金を集めるためにV-Dayを始めた。
V-Dayの活動は、西洋のバレンタイン・デーに重なるようにスケジュールされており、オハイオ州のアクロンからクロアチアのザグレブに至るまで世界中で繰り広げられている
(www.vday.orgをご覧ください)。ニューヨーク市では、V-Dayはマジソン・スクエア・ガーデンで2月10日に開催され、活動家が集い、夜には「ワギナ・モノローグ」が上演された。
V-day の集会でゾヤは多くの支援者と語り合い、RAWAのパンフレット、出版物やポスターをこの丸一日続いた催しの出席者に配布した。この集会では46ヶ国から200人の活動家が集まり、自国でレイプやその他の女性に対する暴力行為を阻止するための計画を分かち合った。ゾヤと数名のアメリカの支援者達はアフガニスタンの苛酷な状況やRAWAの政治的、人道的な手段を通して変化をもたらそうとする数々の活動に付いて語る機会恵まれた。個人に対して、アフガン女性の状況に対する認識を高めただけでなく、RAWAと意識を共にする数々の組織との間にも有益なコネクションを作ることが出来た。
我々出席者は、ゾヤと数時間を共にし、RAWAの現在の活動や問題、我々のアフガンの姉妹たちの話が出来たことを大変喜んでいる。ゾヤは、最近のパキスタンのアフガン難民の状況に対する大きな問題を強調していた。彼らにはきちんとした住処、食べ物、また毛布等もなく、そのために多くの人たちが命を落しているのだそうである。RAWAの活動に付いて、直接ゾヤの口から話を聞けたことは我々の悲しみを倍増させ、同時にRAWAに対するアメリカからの援助をさらに増やしてゆこうと心に誓った。
その晩、マジソン・スクエア・ガーデンの大きなアリーナでゾヤは売りきれ御礼の「ワギナ・モノローグ」の有名人のパフォーマンスの前に姿を現し、そこにいた18000人の人たちの心を揺り動かした。このアリーナは通常男性のスポーツチームのホームでり、そのファンも男性が圧倒的なのだが、その晩はこの場所は女性の経験を称える場に変わったのだ。ゾヤは、オプラ・ウィンフリーがアフガニスタンの女性達についてのモノローグを朗読し終わったときブルカに身を包んでステージに現れた。この新しいモノローグはイブ・ウィンスラーが最近RAWA
の助けによってパキスタンとアフガニスタンへ旅した後に書いたものである。ゾヤがステージに着くと観衆が息を呑む中オプラ・ウィンフリーがブルカを脱ぐのを手伝った。アメリカのニューう雑誌「ザ・ネイション」の2001年3月5日号にマーガレット・スピレーンがこう記している。
「・・・その晩、ブルカを強制されて無名の沈黙の布の塊のようにステージへ向かうアフガニスタン女性がいちばんの抑圧されたイメージであった。その布があげられたとき、世界中のどこの大学のキャンパスにも溶け込みそうなカジュアルな上着とズボンをはいた若い女性が現れた。しかし、彼女の国のタリバンにとっては、この場で直ぐに彼女を殴り殺すに十分な理由があるということになるであろう・・・」
ゾヤは自らの姿を現し、大観衆の前のステージ中央に立ちRAWA
とアフガニスタンの女性のために2分間の情熱的なスピーチをした。,女性や子供たちの置かれた状況を描写し、RAWAの激しい反原理主義の考えを述べ、観衆と世界に向けてアフガンのしまいたちのことを覚えていてくれるように頼んだ。彼女の言葉は、同じ号の「ザ・ネイション」でカーサ・ポリットが「衝撃的で、かつ、力強い」ものであり、18000人の群集から総立ちの拍手受けたとを書いている。RAWAはこの晩、直接群集に語り掛ける機会に恵まれた僅か2団体のうちの一つであった。また、この晩のプログラムの中で、V-Day基金は「アフガニスタンの女性を開放するための激しく妥協のない闘いを称えて」RAWAに2001年の予算の中で最高額の寄付をすることを発表した。
その晩の他のパフォーマンスも力強く優れたものであったが、多くの人はアフガン女性とRAWAを代表したゾヤのスピーチが最も重要なものであったと認めている。
また、アメリカのRAWA支持者は、このイベントに集まった観衆に、パフォーマンスが始まる前にで「沈黙の向こうのオクターブ」(www.OctavesBeyondSilence.com)という基金集め用の音楽CDのリーフレットを4000枚配布した。これはこの晩の100枚を超えるCDの販売と、後日ここのウェブサイトへのアクセスの増加につながり、合計で1000ドル以上のお金をRAWAを含む組織や団体に寄付することが出来た。.
翌週の水曜日
(2月14日)ゾヤはワシントンDCでアメリカの国会議員メンバーや支援団体、報道陣、そしてNGOの前で下院においてV-Dayのイベントに関連した記者会見で話をした。このブリーフィングはイリノイ州のジャン・シャコウスキー議員によって後援された。イブ・エンスラー、スージー・オーマン、キャロル・ブラック、ジェーン・フォンダ、そして多くの女性議員達などの多くの素晴らしいアメリカの女性達が観衆に向けて話をした。
そのブリーフィングでは、ゾヤはマジソン・スクエア・ガーデンでのように2分しか時間を与えられていなかったが、彼女は話すべきこと、話し方を賢く絞り、アフガニスタンの恐ろしい悲劇をきっちりと纏め上げ、RAWAがアメリカ政府に要請したいことの概要を的確に表明し、この短いスピーチは、非常に好意的に受け止められた。このブリーフィングに関するジャン・シャコウスキー議員の公式ステートメントが発行されたが、その他の数名の発言者たちも、ゾヤのスピーチを直接受ける内容の発言をしている
(www.house.gov/shakowsky/でジャン・シャコウスキー議員のステートメントを見ることができます)。
ゾヤはこの後多くのジャーナリストにインタビューされ、ほんの短いさよならを交わした後彼女はニューヨークからパキスタンへ向かう機上の人となった。
V-Dayのウェブサイトから
アフガニスタンで行われている犯罪に付いては、書き表すのも難しいほどである。オプラ(トークショーのでなく、役者のオプラ)は、観客にアフガニスタンの女性が毎日耐えていることが自分の身に起こっていることだったら、と想像するように頼んだ敷物のようなドレスでほとんど全身を覆われ、目の部分のスクリーンのために視力がひどく限られ、そこから何か外に出たら、切り落とされる生活である。男は誰でもよってきて靴下の色をチェックし、色が悪いと公衆鞭打ち刑である。夫達はいつものように殺されるが、女性は男性のエスコートがなければ公衆の場へゆくことはできない。笑い声は法律違反。音楽も同様。ダンスも。その他もろもろ。これは女性に対しての戦争のようなものだ。そして、彼女たちは、私達の支援を必要としている。この戦争に対して闘っているRAWA
(www.rawa.org)
のある女性がこのドレスに身を包みやってきた。それまで、私はこれほど鋭い共感と闘志を覚えたことはなかった。かのじょは50になろうとしている23歳の女性。「私はアフガニスタンという名の墓場に属しています。」彼女は、自分の家族やアフガニスタンの女性達の堪え忍んでいる恐怖
のことを語った。そして、このことを忘れないで欲しいと言った。
(自分達がクウェートで何をしたか、私は一生かけてもわからないだろう)。彼女の声は耳の中でこだましている。「自由のためには、勝利を手にするまで闘うしかないのです」いまのところ、私は現実によってひどく踏みつけられていると感じている。
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