多くのイスラム国家での男と女達が、その独裁政権に対して立ち上がり、世界がそれを「アラブの春」と呼んでいる時、カルキ・パルチャミの反逆者共と犯罪的な原理主義者共はアフガニスタンの春を悲痛な陰鬱な時にしてしまった、そして4月のこの両日は我が国近代史の悲運のシンボルになった。
7つの軍閥と8つのグループは、その4年の支配的な期間、我が国を流血の中に追いやった。それは米国、アラブ、パキスタン、イランの支配者達でさえも当惑するほどのものであった。無知で犯罪的な軍閥達は、ほんの数年の激戦でカブールの7万人の市民を無慈悲にも殺害し、市内を完璧に破壊し、略奪し、中世の考え方で女性を家に閉じ込め、少女や子供さえもレイプすることを止めず、我が国の文化的、国家的財産を略奪した。ISIの長官で、かつジハード犯罪集団の名付け親である、アクタル・アブドゥル・ラーマンは、「カブールは燃えてしまえばいい」とまで言った。彼自身が(皮肉にも)、背徳的な欲求が満たされる前に焼死しまったが、彼に続く手下共は、彼が想像した以上の恐ろしいやり方で名付け親の夢が実現されることを確実にした。人食いのグルブディンは、わずか1日でカブールに1000発以上のロケットを打ちこんだ。サッヤーフ、ラバニ、マスードは、自らの忠誠心をパキスタンとアラブの支配者達に捧げると宣言し、カブールのアフシャール地区でハザラの同胞達を抹殺し、そしてより一層、恐ろしいやり方で彼らの先達のアブドゥル・ラーマン・カーンの記憶を蘇らせた。ドスタムと彼の貪欲な軍隊は、女性と少女を略奪、レイプするという残酷な行為を続けた。イランの手下である、マザリ、ハリリ、モハキク、アンワリ等らは、無実の市民の頭蓋骨に釘を打ち込み、「死人のダンス」を演じさせ(儀式的な殺害のこと。喉をさっと切り裂き、そこに熱したオイルを注ぐと、胴体がクネルように動く。それを「ダンス」と称した)、アークンディ風の恥ずべき犯罪*を誇示した。(*過去30年間のイランの聖職者政権において聖職者によってなされた犯罪のこと)
この逆境の支配の間、ジハード犯罪者は我が国の物質的な価値ある物を破壊しただけでなく、多様な人種間の国民的統合という宝物のような精神的な価値をも破壊した。特に、不幸なヒンドゥとシークの同胞は、自覚的な人をも扇動してしまう、苦難の専制政治の下に置かれた。支配者達の何世紀にも渡る少数民族への裏切りにもかかわらず、我が国民は、平和と調和の下に生活し、何世紀もアフガニスタンを自分たちの祖国とみなしてきた。しかし、この輩は、自分達の個人的、派閥的な利益のために、部族間、宗教間、言語間、地域間の紛争を再燃させた。
米国と西欧諸国が、原理主義者達を傭兵として注意深く選抜したことは疑いない。米国と西欧は、我が国の部族と宗教と言語の統合の真の敵である、グルブディンやラバニやサッヤーフやユーニス・カリスのような逆賊にしっかりと武装させた、そして彼らを我が国民の前で「指導者」として紹介した。4年に及ぶ災難の間、彼らは、パキスタンとサウジアラビアと他の反動的原理主義者の援助を受けて、ジハーディに対抗するタリバンを武装させた、そして何年にもわたり我が国民を支配し、軍閥間の内戦に飽き飽きしている国民に、中世の時代の法律を施行し、更なる拷問を課した。
家族は1992年から1996年の内戦の間の彼らの愛する人の喪失を嘆く。 (写真:RAWA.org)
1994:アフガニスタンの都市の内戦による破壊。 (写真:RAWA.org)
宗教裁判官のような政策を実行することで、タリバンは我が国民を一層、無知と不幸を蔓延させ、シャマリの人々の殺害や、バーミヤンのヤカオランの虐殺とマザールでの虐殺や、無数の他の犯罪で見られるように、ジハーディの先任者の背徳的なやり方を一層、残虐な方法で見習った。
9・11は、米国と西欧諸国にまたとない機会を与え、アフガニスタンを支配し、ジハーディの悪漢共と女性嫌悪主義者に再度、権力に付かせることになった。その悪漢共は、西欧の支配者達と米国・NATOのB-52の援助を受けてやってきた。この時ばかりは彼らはスーツとネクタイ姿であった。かつては、民主主義は冒?と同等のものであり、選挙や議会や女性の権利は異教徒のシンボルであると言っていた同じ人間が、民主主義という分野での生れつきのヒーローであると、西欧により宣伝された。
米軍とNATO軍の駐留のせいで、ジハーディのオオカミ達は、省庁、州、国会、上院、その他のポジションを確保し、新しいやり方で国民を略奪し、破壊行為と抑圧を続けている。対ロシア戦争の間、西欧諸国は、人道的支援と称して悪名高い原理主義者の政党のポケットに何百万ドルも注入したが、今はユーニス・カヌーニ、サッヤーフ、ファヒム、モハキク、アブドゥラその他の金権政治家共に、アフガニスタンの復興支援と称して何十億ドルも払っているのである。雇用主の政策を実行することに有効な役割を演じている、市民社会とNGO団体もまた、その金の分け前を得ている。
カルザイ、スパンタ、アンワル・ウル・ハク・アハディ、アシュラフ・ガニ、ザルマイ・ラスール、アムルラ・サレーその他のマフィアのような者どもに頼りきって、米国は4月28日の、流血の恥ずべき記憶と、それに続く殺戮の4年を消し去ろうとした。ジハーディの吸血鬼と、カルキ・パルチャミの裏切り者達は、国会で包括的な恩赦法を成立させ、何千もの我が同胞の殺害を互いに許し合った…また、いわゆる政治の専門家や評論家といった人達も、1992年から1996年にかけての戦争を語りはするものの、その残虐性を語らない。米国は、その数年を「内戦」と称し、もし国民が米軍の永久基地に対してNOと言えば、再びその悪夢に戻るぞという脅しをかける時にのみ、この「内戦」という言葉を使う。
確かに彼らは、この暗い時代のことを、学校の教科書やメディアの議論から消し去ることはできる、しかし歴史のページから消すことはできない、切り裂かれた子供の身体を自分自身の手で埋葬した母親の心から消すことはできない。
今日、米国と西欧諸国は、4月27日と28日の大量殺戮者と、タリバンの傭兵共の間を取り持って和解をしようとし、反逆者からなる統一政府を我が国民の上に置こうとしている。米国は、非道なタリバン指導者を自由にし、傀儡政府の内部にこのISIの代弁者を取り込みたがっている。全ての犯罪者達が統合したところで、平和のニュースをもたらすことにはならないどころか、我が国に一層の不運をもたらすだけである。この飢えた狼共が連合して我が国民を襲えば、より暗く、悲劇の日々となるであろう。アフガニスタンをこの地域の軍事基地とし、永久的な駐留を保証するものにするために、米国は、我が国と米国内で最も血に飢えた敵共と取引をしようとしている。
アフガニスタン女性革命評議会(RAWA)がこれまで繰り返し強調してきたことは、解放と成功への唯一の道は、アフガニスタンの全ての民主的で自由を求める諸集団による妥協しない闘争と、国中での確信的な反乱をおこすことである。その時に初めて米国を追い出し、カルザイのマフィア政権を絶滅させ、ジハーディとタリバンの残忍な指導者や金儲け第一主義者を裁判にかけることができる。
このような幸運な日になれば、悲運な運命にあるアフガニスタン国民はようやく民主主義と自由という社会正義の春を味わうことができるであろう。
4月27日、28日は我が国の歴史の恥ずべき汚点だ!
民主主義と女性の権利のための闘争は、反原理主義と反占領への闘争を通じて可能になる!
我が国民の、自由を求める運動と反原理主義運動はこれからもずっと生きながらえる!